松井智司の「美」 その3 藤娘

「ある日、市川歌右衛門が舞台に出ましてね。ええ、女形です。舞台の天上から藤の花がいっぱい下がっていて、そこに藤の枝を肩に挿した歌右衛門が烏帽子をかぶって登場するんです。だから、あの芝居は『藤娘』だったのかなあ。綺麗なんです。舞台衣装が派手やかでしょう。そこに藤紫の花が溢れている。とにかく、綺麗で綺麗で、何ていうんでしょうねえ、そう、魂を奪われたみたいになって、もう舞台から目が離せないんです」

智司君は5歳になると生家に戻ったから、これは3、4歳の頃の記憶である。生まれて3、4年しかたっていない幼子が歌舞伎舞台の絢爛さに魅せられて我を忘れ、しかもその記憶をいまに至るまで持ち続ける。普通にあることではない。ませた子どもだったというより、人に増して「美しさ」に鋭敏な感受性を持って生まれついたのだろう。

智司社長を惹きつけたのは舞台だけではなかった。祖母に連れられて通い詰めた「桐座」には、客として芸者衆も通っていた。芸者とは流行の最先端に触れ、身にまとってお座敷で客をもてなす仕事である。それだけではない。もてなしには話題の豊富さも必要だ。彼女たちは身銭を切って教養を積み重ね、仕事に備えていた。「桐座」は彼女たちの学習の場でもあったのである。

勉強が目的とはいえ、普段着で来る芸者衆はいない。美しさも芸者衆の武器の一つである以上、たくさんの人がいる場に出る彼女たちは念入りに化粧をし、美しく着飾って妍を競った。

「桐座」の智司君は舞台からだけでなく、自分を取り囲む客席からも美しさを吸収していたのに違いない。

智司君がやがて、祖母に連れて行かれた呉服商の店頭で

「おばあちゃん、この着物、きっとおばちゃんに似合うよ」

と口にするほどの「目利き」になった。溢れるほどの美しさに取り囲まれているうちに、智司君の内側で、知らず知らずに美しさに対する独自のセンスが育っていたのだと思われる。