松井智司の「美」 その4 四丁目小町

「庭も素晴らしかったですねえ。石の配置、上手に剪定されて枝振りがみごとな木、季節季節の草花など、街の真ん中にいるのに広大で美しい自然の中にたたずんでいるような感じがして、縁側に座ってボンヤリ時間を過ごすこともありました」

智司少年は空襲が激しさを増した昭和20年(1945年)の春、四万温泉に疎開した。そのおばさんの嫁ぎ先の親戚が経営する料理旅館である。母と妹、弟、それにお手伝いさん一人と一緒だった。

料亭にはすっかり馴染んだ智司少年の目に、料理旅館はまた違った空間に思えた。客を迎えてもてなすのは同じだとはいえ、町中でのもてなしと、温泉地でのもてなしは違うのだろう。こちらの方がおおらかでゆったりしている感じがする。

部屋から部屋を歩き回り、

「こっちはこう作ってるんだ」

と新しい発見をするのが日課になった。
智司少年は、やっぱり「少し違った」少年だったのである。

ちなみに、智司少年は終戦の玉音放送を町のラジオ屋で聞いた。

「桐生に帰れる!」

料理旅館の探検は楽しくても、友達がいないのが寂しかった。桐生に戻る。あいつに会える!

矢も立てもたまらなくなった。母や妹がやっている帰宅準備がじれったくなった。

「僕、先に帰る」

と、1人で四万温泉を出た。とはいえ、四万温泉から桐生までは100㎞程の道のりだ。それを小学2年生が1人で?

広沢のおばあちゃんが四万温泉までハイヤーで迎えに来てくれたのである。

昭和20年。小学2年生。ハイヤーでのお迎え。智司少年は文字通り、銀のさじをくわえて生まれてきたのだった。

写真:四丁目小町と呼ばれたおば富貴さん。