松井智司の「美」 その9 京都工芸繊維大学

「だって、群馬大学工学部で学ぶのは『工学』なんです。私が行きたかったのは京都『工芸』繊維大学なんです。違いますよね?」

高校時代の智司社長

確かに、「工学」で学ぶのは、より良いものをより安価に作る産業技術であろう。だが、「工芸」はそれだけでは済まない。最高の機能に加え、誰もが欲しくなる美しいものを創り出す感性を育てる分野ではないか。

当時、「松井工場」が作っていたマフラーには、まだデザインの要素はない。白一色のウールの糸を粗く編み上げたマフラーで、他の会社が作っているものと違いはなかった。それが、智司少年が「継ぐ」と決めた家業だった。「工学」が生きる仕事ともいえる。

それでも、なぜか智司少年は「工芸」にこだわった。工芸品とは、実用と美術的な美しさを融合させたものをいう。将来自分がマフラーのデザインをするなどとは、当時の智司少年は考えもしなかったし、できるとも思わなかった。それなにのに、自分の中に根付いた「工芸」へのこだわりを捨てて「「工学」に飛び移ろうとは思わなかった。

様々なことが好き勝手に生起するのが人生である。しかし、三つ子の魂百まで、という。あとでよくよく眺めると、てんでんばらばらに見える中に、1本の筋が通っているのも人生なのではないか。

いや、少なくとも智司社長の人生には、本人が意識しないまま、1本の筋が通っていた。それがいまの智司社長に結実しているのである。

写真:高校の同級生と。中列左から2人目が松井智司さん。