松井智司の「美」 その11 茶の湯

遊びもまんざら捨てたものではない。いや、遊びを知らない人間にいい仕事はできないといってもよい。

遊びをせんとや生れけむ

平安時代末期に編まれた歌謡集「梁塵秘抄」に見える歌である。遊びは人が持って生まれた本能であり、人は遊びを通して様々なものを身につけていくのだ。

家業が順調なこともあり、智司青年は遊びにも夢中になった。とにかく、遊びに遊んだ。

智司青年が家業を継いだ昭和33年当時、桐生では芸事が盛んだった。松井工場も勢いが良かったが、織都桐生も往時の勢いを取り戻していたのである。

そんな空気の中で智司青年が身を入れたのは茶道だった。会社の業績も順調に右肩上がりだし、さて俺も何か芸事を、と考えていたとき、高校時代からの友人が

「俺、お茶を始めたんだ」

と話したのがきっかけだった。それを聞いて、

「だったら俺もやってみようか」

と思い立ち、早速、自宅のすぐ近くで茶道教室を開いていた先生に入門した。戦争で夫を亡くした女性が開いていた表千家の教室だった。

考えてみれば、智司青年は幼い頃から和の美に囲まれ、知らず知らずのうちに身体いっぱいに吸収してきた。親戚には料亭や旅館もあり、茶室も知らないわけではない。数ある芸事の中から茶道に目をつけたのは自然な選択だったのだろう。