そう思い始めた頃、市内に新しい茶道の教場ができた。先生は表千家で、東京から通ってくるという。
友人に誘われて見学に行った。突然
「お手前をやってみて下さい」
と声がかかった。少なくとも2年間は茶道を学んだのである。その程度は身についている。教室で習った通りに進めた。すると、逐一注意を受けた。
「そうではありません。こうやるものです」
読んだ本の通りに直された。やっぱり、前の教室で学んだことは、どうやら本道ではなかったらしい。
「ここで学ぶべきだ!」
すぐに前の先生に断り、こちらに入門したのはいうまでもない。
通い始めると驚くことばかりだった。挙措動作だけではない。この先生は元仙台藩江戸家老の娘さんから茶の湯を学んだという。それだけに、道具が素晴らしかった。先生が仕切る茶会にはピンと張り詰めた空気が流れ、茶室内の道具の色や配置にもえもいわれぬ均整があった。
「やっぱり田舎の茶とは全く違う」
しばしば東京での一門の茶会にも招かれた。そのたびに、母・タケさんが着物、履き物を揃えてくれた。最高級の品ばかりだった。
智司青年はますます茶道にのめり込んだ。
それだけなら、単なる趣味、遊びの話である。
だが、智司社長は運に恵まれた人なのだろう。

「この先生が小堀遠州が好きだったのがいまに繋がっていると思うのです」
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