松井智司の「美」 その13 日米繊維交渉

長々と歴史の一幕を書き連ねたのは、あれほど順風満帆の経営を続けていた松井ニット技研も日米繊維交渉の結果に大きな打撃を受けたからである。作っても作っても足りないほどだった対米輸出用のマフラーが、交渉決着からそれほど日がたたないうちにほとんどゼロになったのだ。

アメリカ向けマフラーに頼りきりだった経営は奈落の底に落ちた。10人ほどいた職人さん全員を雇用し続けるのが難しくなり、うち数人に辞めてもらった。

「本当に目も当てられないぐらいで、一時は真剣に廃業も考えました」

と智司社長はいう。

松井智司社長は地獄を覗いたのである。
しかし、考えようによっては世の中とは面白い。あのまま対米輸出が好調さを続けていたら、松井ニット技研は、納入先の意匠に従って白色のウールで目の粗い無地のマフラーを作り続けるOEMメーカーのままで終わっていたかも知れないのだから。

「対米輸出が絶好調だった10数年は我が世の春でした。私はもともと遊び大好き人間なので、あの絶好調が続いていたらきっとダメ人間になっていたでしょうね」

気を取り直した智司社長は、商社で働いていた弟の敏夫さんを呼び戻して2人3脚の経営を始める。
そして、初めてデザイナーの入り口に立つのである。

写真:佐藤栄作首相とリチャード・ニクソン米大統領(1969年11月米ホワイトハウスにて)出典/Richard Nixon Foundation HP