全員で東京まで出かけ、合唱の指導を受けてきた。帰りには、喉から手が出るほど欲しかった楽譜もいただいてきた。ガリ版刷りの楽譜だから気楽にもらうことが出来た。
こうして「YEARLING」は、宗教曲にのめり込んでいく。
「YEARLING」の公演はいつも満員札止めの盛況で、1500人の会場に入りきらず、立ち見客が出るのが常だった。
ところが。
「あれはいつ頃ですかねえ。客の入りが悪くなったんですよ」
何とかしようと軽音楽に挑んだ。智司社長と4、5人の仲間が市内のギター教室に通い始めた。ピーター・ポール・アンド・マリー、ブラザーズ・フォーの曲をコピーしようというのである。
智司社長はオーディオにもこり始めた。アンプはこれにして、ターンテーブルは糸ドライブを選び、アーム、カートリッジは別々のメーカーのものを組み合わせる。スピーカーはイギリスのステントリアンを選び、コンデンサータイプのツイーターを加えた。東京・秋葉原に足繁く通ったのはいうまでもない。輸入レコードを買いあさったのもこの頃の話である。いわゆる「音きち」だった。
20歳で始めて2019年に退団するまで約60年。合唱の何が智司社長をそこまで惹きつけたのだろう?
「例えば宗教曲ですが、4つのパートがきちっと合うと、それまでなかった音が聞こえてくるんです。いわゆる倍音が生まれましてね。その倍音の美しさ、倍音を生み出すまでのプロセスの楽しさ。ええ、それが合唱の最大の魅力ですね」
ソプラノ・アルト・テノール・バスの4つのパートがきっちり合うと、単なるハーモニーを越えて倍音が生まれる。
それって、たくさんの色を組み合わせる松井ニット技研のマフラーと同じでは?
「いわれてみればそうですね。でも、合唱もマフラーも、『倍音』はなかなか出てくれませんが」
智司社長が
「本当に私の人生を豊かにしてくれました」
という合唱も、松井智司の美を醸し出す大事な要素なのだ。筆者にはそう思われてならない。
写真:YEARLINGの公演。前から2列目の左から2人目が松井智司社長。