松井智司の「美」 その24 森山亮さん

桐生は衰退する繊維産業の町である。いま初めて桐生を訪れる人がいても、この町がかつて織物で全盛を誇った町と気がつく人は少ないかも知れない。

それは桐生人が一番痛切に分かっている。だから、織物の町、織都桐生を再興しようという試みは何度も繰り返されている。

昭和62年(1987年)にオープンした桐生地域地場産業振興センターもその試みの一つだった。織物の町桐生に勢いを取り戻す核にしたい、と関係者は意気込んだ。そして、

「この人ならやってくれるのではないか」

と白羽の矢が立ったのが森山亮さん(故人)である。明治時代、桐生の地で染色法、織機の改良に大きな功績を残し、近代の繊維産業史に名を残す森山芳平氏の血筋を引く森山亨さんは当時、大和紡績に勤めて衣料部長、製品部長、マーケティング部長などを歴任していた。職業柄、繊維についての深い知識と見識には定評があった。そして、ビジネスで培った幅広い人脈を持った人でもあった。

そこを見込み、

「桐生に戻ってこい」

と口説いたのは、桐生が生んだ世界的なテキスタイル・デザイナー、故新井淳一氏だった。

口説き落とされて桐生に戻った森山亮さんは桐生地域地場産業振興センター初代専務理事に就任するとすぐに動き始めた。翌昭和63年、産地桐生の新製品を一堂に集めた桐生テキスタイルプロモーションショー(TPS)を始めたのである。

「ええ、私どもも森山さんにお誘いいただいて展示会に出品しました」

と智司社長はいう。それが森山亮さんとの付き合いの始まりだった。