松井ニット技研のデザインについて書きたい。 といっても、筆者は芸術や美学には全く縁がない野暮天である…


松井智司の「美」 その2 虚弱児
まだ幕の内。新年の目出度さが残る昭和13年(1938年)1月5日、智司社長は實さん、タケさんを両親と…

松井智司の「美」 その3 藤娘
預け先の母の実家は丸帯専業の機屋だった。こちらも他に先駆けて力織機、それも※ジャカード織機を入れ、当…

松井智司の「美」 その4 四丁目小町
智司少年は、あまり手がかからなくなった5歳になって生家に戻った。すぐ近くに、「四丁目小町」と呼ばれた…

松井智司の「美」 その5 桐生の着倒れ
話を少し戻す。 2歳から預けられた広沢のおばあちゃんの家も着道楽だったが、戻ってきた生家もまさるとも…

松井智司の「美」 その6 若鷹の爪
智司少年は終戦の前年、桐生市立東小学校に入学した。 あれだけのマフラーをデザインする人である。そして…

松井智司の「美」 その7 変化
もう少し、中学時代の智司少年を追いかけよう。暮らしに変化が訪れるからである。 いまは小学生から英語の…

松井智司の「美」 その8 糸杉
昭和28年(1953年)、智司少年は桐生高校に進んだ。父・實さんはすでにない。東京の会社に貸していた…

松井智司の「美」 その9 京都工芸繊維大学
兄の隆さんは家業を継ぐことを嫌がり、すでに家を出て大阪の染料会社に就職していた。であれば次男の自分が…

松井智司の「美」 その10 対米輸出
昭和31年(1956年)、智司少年は高校を卒業した。母の体調は一服していたが、すでに大学進学は断念し…