松井智司の「美」 その4 四丁目小町

智司少年は、あまり手がかからなくなった5歳になって生家に戻った。すぐ近くに、「四丁目小町」と呼ばれた父方のおば、富貴さんが嫁いでいた。ご亭主は桐生工業専門学校(いまの群馬大学理工学部)の先生である。

魚屋だった松井家が機屋に転業したのは、親が

「こんな綺麗な子が魚屋の娘では可愛そうだ」

と考えたからだという、何だか魚屋さんには気の毒な言い伝えが残っているほどの美人だった。しかも、東京の女子校に進んだインテリであり、卒業して桐生に戻ってくる時は夜会服(イブニングドレス)姿で汽車を降り立った、時代の最先端のファッションセンスを身につけたおしゃれな人だった。

嫁ぎ先は桐生市内有数の料亭だった。生家に戻った智司少年は足繁くこの家に足を運び始める。

第2次世界大戦のあおりで戦時中に廃業していたが、元は繁栄する桐生で覇を競った一流の料亭である。家の造りが全く違った。

客を迎え、もてなし、楽しませるのが料亭である。勢い、オシャレで粋な雰囲気が漂っている。玄関の間は畳敷きの3畳。大小の部屋が複雑に配置され、何度も曲がりながら部屋を繋ぐ廊下にも畳が敷き詰められている。

部屋に置かれた座卓や脇息には職人の凝った仕事が見て取れた。欄間や障子、床の間の意匠も目を引く。床の間を飾る掛け軸、廊下のあちこちに何気なく置かれた壺、食事を盛る器、それを運ぶお盆、添えられた箸。贅をこらした品々が智司少年の目を楽しませたのである。