KNITTING INN その9  養子

いまでは松井ニット技研のマフラーやショールのブランドとして定着している「KNITTING INN」は、智司社長、敏夫専務の2人が国内美術館総当たりの開拓営業を思いついた時、

「そうであれば、ブランドが必要だ」

と急遽立ち上げたものである。美術館への電話営業、「資料」づくりに追われながら、これもやらねばならない仕事だった。

KNITTING INN。日本語にすればニットの木賃宿。決して豪華ではない。近代建築の粋を凝らしたものでもない。ひっそりとたたずんでいるが、木枯らしが吹きすさぶ通りから一歩ドアをくぐれば、人の温かさがホンワリと漂ってきて、心がホカホカする。安心してくつろぎ、身を任せることができる一夜の宿。首筋を冷たい風から守るだけでなく、身にまとうだけで何故か浮き浮きしてしまう松井ニットのマフラーにピッタリのブランド名だ。

それなのに、「KNITTING INN」の産みの親は、実は松井ニット技研ではない。仕事で知り合ったデザイナーが独立して立ち上げたファッション事業のブランドとして産声を上げたものなのだ。何が悪かったのか、そのデザイナーの事業はうまく行かず、「Knitting Inn」は放り投げられていた。それを智司社長が拾って大事に育て上げた。ブランド名としては、じつは養子なのである。

昭和50年(1975年)前後だったと記憶にある。DCブランドとして一世を風靡したBIGIの若手デザイナーから声をかけられた。

「松井さん、今度私、独立します。日本の『ミッソーニ』をつくりたいんです。ついてはご協力をいただけないでしょうか。松井さんにつくっていただく製品を中核にして新しいブランドを立ち上げようと思っているのです。断られると、独立計画が頓挫します。何とかお願いできませんか?」

ミッソーニは、イタリア・ミラノの老舗ニットブランドである。ストライブやジグザグなどの幾何学模様と多彩な色を組み合わせ、人目を惹きつける華やかさの中にも落ち着きのあるデザインで、「色の魔術師」の呼称を欲しいままにして世界中にファンを持つ。

「ほう、ミッソーニですか」

当時、松井ニット技研はBIGIブランドのマフラーや生地を作って納めていた。このデザイナーは松井ニット技研の製品がよほど気に入ったらしく、社内の企画会議で頻繁に松井ニットを押してくれた。そんな縁で一緒に仕事をすることが多かった。その彼が日本のミッソーニを目指す。

「わかりました。あなたには何かとお世話になりました。私どもでよろしければ、何なりとお申し出ください。できることはお引き受けします。しかし、若い人は思いきったことができて羨ましいですね」