芽生え:その1 かかってきた電話

「松井ニット技研様でしょうか。突然お電話して失礼します。実はお願いがあってお電話を差し上げているのですが、いまよろしいでしょうか?」

松井智司社長、敏夫専務の記憶によると、桐生市本町4丁目の松井ニット技研の事務室で電話が鳴りだしたのは、確か1999年11月のことだった。電話を取り上げたのは敏夫専務である。

「はい、どういうご用件でしょうか?」

電話から流れてきたのは聞き慣れない女性の声だった。時間は大丈夫だと伝えると、女性は説明を始めた。
彼女は、アメリカ・ニューヨークで近代美術を集める世界的な美術館の日本でのエージェントだった。聞けば誰でも分かる著名な美術館だが、松井ニットは契約に縛られてその名を明かすことは出来ない。ここではA近代美術館としておく。

そのA近代美術館の購買担当者が松井ニットを訪ねたいと希望しているという。

松井ニットはマフラーメーカーである。使う人が喜んで首に巻いてくれるマフラーを作り続けてきたとの自負はあるが、美術、芸術を世に問うたことは一度もない。美術館の購買担当者がどうして松井ニットに関心を持つ? どう考えても分からない。しかし、訪ねて来たいというのには何か訳があるのだろう。来るものは拒まず。

「そんな世界的な美術館の方が当社にどんなご関心を持っていただいたのか分かりませんが、はい、おいでになるのは結構ですよ。お待ちしています。それで、いつになりますでしょうか?」

少し横道にそれる。
筆者が桐生に赴任したのは2009年春だった。街路には人影がほとんどない。時折道を行く人は99%高齢者である。目抜き通りである本町通り商店街には日曜日もシャッターを降ろした店が目立つ。地方都市はこんなに衰退しているのか。前任地の東京で話にだけは聞いていたが、余りの様子に

「何というところに来てしまったのか」

との思いにとらわれた。
市職員にそんな話をした。彼の生まれ故郷をくさしてしまったわけだ。いま思い返せば、かなり失礼なことである。多分、彼はムッとしただろう。

「あなた、そんなことをおっしゃいますが、こんなものが桐生で作られているのをご存じですか?」

彼が机上のパソコンで見せてくれたのが、松井ニット技研のマフラーだった。
正直、目を奪われた。そこには、これまで見たこともない色の組み合わせがあり、華やかなのにどぎつさはなく、10に近い色がみごとに調和して一つの世界をつくっている。目にしただけで気分まで明るくなりそうだ。首に巻いたらさぞかし楽しかろう。妻にはこの色を。娘2に人にはこれとあれ。長男の嫁にはどれにしようか。
私は身につけるものに余りこだわらない。マフラーを首に巻いた記憶はほとんどない。そんな私に、

「いますぐ欲しい!」

と思わせる魅力が溢れていた。
いま筆者は、松井ニットのマフラー、春秋用のストールを7本持つ。毎年世に出るニューモデルを楽しみに待つ一人である。